ゑびす醤油の生い立ち
二代目卯ノ吉と三代目登一
初代、有岡森太郎がみどり屋醤油の娘である乳母に育てられ、丁稚奉公し、醤油の製造・販売の勉強をしたところからゑびす醤油の歴史は始まります。明治10年、森太郎が16歳の時、商売の神様「ゑびす様」を屋号にいただき、「ゑびす醤油味噌醸造元」として創業。15年の時を経て、明治25年に筑紫野市二日市本町908-1(現在の店舗・工場である二日市中央4-8-15)に工場を建設しました。
二代目卯ノ吉から三代目登一の時代には、商店への卸売りを主とした販売を行っておりましたが、時代の推移から三代目登一は個人への販売を主とし、お客様のニーズに合わせた商品、お客様に満足いただける商品の開発に注力しました。それが今でもゑびす醤油の礎となっております。
その後を四代目有岡賢二が継ぎ、生産性の向上とお客様のニーズに応えるため、醸造工場の専門家である有松賢作氏にアドバイスを受け、平成10年に老朽化した工場を建て直しました。以降、より多くのお客様に満足していただける商品を開発し、吟上醤油を中心とした各種醤油、出汁関連商品、味噌、フリーズドライの味噌汁などを販売しております。また、飲食店様などへ特注の商品もお打合せの上、開発・製造して納品しております。
これからもお客様のお役に立てる商品を開発・販売してまいります。是非、私ども「ゑびす醤油」の商品を使ってみてください。
五代目有岡竜則のゑびす邸への想い
四代目 有岡賢二と幼少期の竜則
小学生の頃から配達のお手伝いをしていた竜則少年。祖父や父、そして従業員について回り多くのお客様と触れ合って幼少期を過ごした。毎日が「醤油屋のお手伝い」、それが当たり前だった幼少期を送り、歳を重ねるごとに家業である「醤油屋の仕事の楽しさ」がわかり、この事業を継いで行きたいという思いが強くなった。
成人し36歳で専務という立場に立った竜則が感じたのは、先代が作り守って来たゑびす醤油の歴史と技術を多くのお客様に味わって欲しいという願い。日々営業に勤しみ、飲食店様向けのオリジナル商品の開発も懸命に行っている。自社の特徴は「小ロットからでも対応できる」という強み。「お客様と一緒に伸びる」ことを先代に学び、たくさんの笑顔を作りたいのだと言う。「ゑびす醤油には、私のこの想いを実現してくれる従業員がいてくれるからこそ、お客様に喜んでいただけるのだと思います。そんな従業員とともにお客様の笑顔を思い浮かべながら商品を作っています。」と話す。
2017年2月22日にオープンした新サイトは、Webという型に縛られず、実在する店舗のようにお客様と近い関係になりたいという想いを込めて「ゑびす邸」と名付けたそうだ。「邸」は「我が家」をイメージし、『いつでも遊びにきんしゃい。(博多弁:「いつでも遊びにおいで」の意)』という願いがこめられている。
醤油屋で小さい頃から育ち、今も働いていて一番嬉しい時は、お客様の毎日の「食」に携わり、お役に立てていると感じる時だと目を輝かす。
「食卓の身近な存在である」ことが自分の生き甲斐だと言う5代目に聞いてみました!
ゑびす醤油の従業員
お醤油屋さんをやっていて、一番の喜びは?
お客様からの「ゑびすさんの醤油でないとダメなの」という言葉が何より嬉しいですね。
どんな思いで商品を販売していますか?
食卓に笑顔や会話が生まれるような商品を届けたい、そんな商品を生み出して行きたい、と毎日寝言のように言っています(笑)。
どんな商品を作りたいと思いますか?
ご家庭の食卓はもちろん、飲食店さんが使ってみたい、販売店さんが売ってみたいと言うような商品を作りたいですね。例えばラーメンたれ、うどん用うすくち醤油、焼肉のたれ、鍋のスープなど、オリジナルの商品開発にも力を入れて行きたいと思っています。弊社は小ロットからも対応できるので幅広いニーズにお応えできます。
「ゑびす邸」としてサイトをリニューアルした理由は?
もっともっと多くの人にゑびす醤油を知ってもらいたいですし、実際に使ってみて「これは良かった」と喜んでいただきたいからです!
あなたの願いはなんですか?
食卓を囲んだ家族に笑顔が溢れることですね!
最後に…
五代目 有岡竜則近影
ゑびすの「ゑ」は「恵」と言う文字がもとになっていること、七福神の神様である「ゑびす様」から屋号をいただいていることから、これからもお客様に「恵」をお届けしたいと考えております。「食」を通じてたくさんの方々の「笑がお」と触れ合っていけることが私の幸せです。
明治10年から始まった「ゑびす醤油」を新しいカタチで皆さんに知っていただき、お役に立てるよう精進してまいりますので、末長くお付き合いくださいますようお願い申し上げます。
ゑびす醤油 五代目 有岡竜則